とうとう学校にいけなくなる、、そして始まった居場所探し【OASIS誕生秘話 その2】
日に日に学校へ行けなくなり、行っても泣きながら帰ってくる子供達を見て親としては本当に心が痛い日々が続きました。なんとかこの状態を改善してあげたいと、学校にも相談し先生方も色々取り組んでは頂きましたが根本的な解決にはならず、結局JNJSは学校に全く行かなくなってしまいました。。。
最終手段としての引越しをする
何か今のJNJSに合った居場所はないか、今のJNJSが安心できる場所がないのか、毎日ネットで検索したり役所に相談に行ったり…。
私なりに思い当たることは全て調べ尽くし、校区外通学の申請も出しましたが教育委員会に却下され、最終手段として引越しをすることにしました。主人は仕事の都合ですぐには引っ越せなかったので私と子供達の3人で先に転居し、週末はできるだけ4人で過ごすという形でまずはやってみようという事になりました。
前もって新しい学校に見学に行き、先生方にも事情をお伝えし、本当に細やかなサポートをして頂けたことで少しずつ通学できるようになりました。少数ですがクラスメートもでき、クラブにも入部し練習にも取り組んでいました。子供達も“今度の学校では大丈夫かも!”と希望をもって通学していました。
しかし転校先に慣れだして半年後、学年が変わり新しいクラスになってからは段々以前の学校と同じようなことが起こり始めました…。
今回は以前に増してJNJSの精神的不安が強くなってしまいました。同じような言葉を投げかけられると、前の学校での辛い思い出がフラシュバックしてしまいダブルで気持ちが萎えてしまう。もうそうなると勉強なんて耳に入ってこない。皆が自分の悪口を言っているような被害妄想がうまれ、そのうち夜は眠れなくなり、突然大声で泣き出したり明らかに気持ちの不安定さが露骨に表れ始めました。
“この学校では大丈夫かも!”と安心し始めていたのに、「やっぱりここでも自分たちは異物なんだ」「どんなに頑張っても私たちには
友達はできないんだ」と悲しみを超えて諦めとなっていました。
結局転校して8ヶ月後にはまた学校に行けなくなってしまいました。。。
「学校には行きたいけど行けない、でもやっぱりお友達はほしい」
この頃主人はまだ以前の家に住んでいたので、転校先からまた元の家へと戻りました。でも元の家に戻るということは、またエリアで決まっている前の学校へ通うことになります。子供達は元の学校に戻ることを怖がっていました。
インターナショナルスクールや英語に特化したフリースクールなどありましたが、双子=2人を通わすとなると金銭的にキツく、
これから高校・大学と進学していくうえでますます学費が必要となるのに、小学生の間から私学に2人を通わすのは難しく…
“学校には行きたいけど…また何かいわれたらと思うと行けない、でもやっぱりお友達はほしい”
“でも学校に行かなくなったらますます勉強ができなくなるし、どうしよう…”
JNJSはことある事に自分たちの不安を訴えてきます。親として何もしてあげられない不甲斐なさを突き付けられました。
とにかく少しでも勉強はさせないといけないと思い、家で子供達が勉強をする際のサポートができるよう私はパートを辞めました。
学校の教科書に沿って授業の振り返りができるタブレットを使った通信教育やドリルなどを利用し、ホームスクーリングを始めました。体育の代わりに市民プールへ連れていったり、図書館で自習をさせたり…。スケジュールを組んで、できるだけ取り組みました。
でも心の中では焦る気持ちがいっぱいでした。
「このままではいけない!」「同じ年ごろの子供達との交流がなくなってしまう」「とにかく何とかしなくては!!」
次回に続く